2020年にラスベガスで開催されたCESで、トヨタ自動車の豊田章男社長自ら発表した実証都市「ウーブン・シティ」構想。世界的自動車メーカーがなぜ、街づくりに乗り出すのか? ヴェールに包まれた同プロジェクトの現状を整理する。
トヨタがスマートシティを作る。そんなニュースが駆け巡ったのは、2020年の松の内も明けないうちの出来事だった。毎年1月にラスベガスで開催される世界最大級の家電見本市「CES(Consumer Electronics Show)」の会場で、トヨタ自動車を率いる豊田章男社長が、富士山と未来都市の青写真を背にして“Woven City(ウーブン・シティ)”と発した瞬間は、今でも鮮明に脳裏に焼きついている。実のところ、CES 2020開幕前の下馬評では、トランプ大統領の大統領補佐官にして長女であるイヴァンカ・トランプの講演が大きな話題だったが、前夜に突然、「豊田章男さんが自らプレゼンに来るらしい」という噂が立ったのだ。
世界に向けて突如発表されたトヨタの大いなる挑戦
今になって思い起こせば、コロナ禍以前に開催された最後の巨大コンベンションとも言えるものであり、ソニーがコンセプトカーを発表し、トヨタが未来都市の開発を宣言するなど、果たして、「世界最大の家電ショー」と紹介するのが正しいのか悩むほどのラインナップである。いささか時計の針を戻すことになるが、トヨタは2016年にトヨタ・リサーチ・インスティチュートを設立して以降、2018年にMaaS(Mobility as a Service)である「e-Palette」を発表するなど、CESではこれまでも意欲的な発表を行なってきた。
そう、ウーブン・シティについて語るに当たって、「なぜトヨタは、従来型の自動車メーカーから脱却を図ろうとしているのか」という疑問に触れざるを得ない。歴代の経営陣との区別と敬愛の意味を込めて、あえてファーストネームで呼ぶが、2018年のCESでのコメントに章男さんの意図が凝縮されている、と筆者は考えている。
「私は豊田家出身の3代目社長ですが、世間では、3代目は苦労を知らない、3代目が会社をつぶすと言われています。そうならないようにしたいと思っています」
ここで少々、トヨタの歴史を振り返ると、同社はもともと、自動織機の発明によって創業された会社であり、章男さんの祖父である豊田喜一郎氏が自動車を作ると決意したことが、大きな転換になっている。当時の日本では、自国で自動車を生産することは不可能とさえ思われており、国家としての議論も「自動車は米国から輸入すべき」という考え方が主流だった。そんな中、あえて豊田喜一郎氏が織機を作ることから、自動車を作ることへと方向転換した結果として、世界一の自動車メーカーへの道が開けたのだ。
事実として、グループ内には今でも「豊田紡織」という社名が残されている。さらに、豊田喜一郎氏が自動車事業を開始した際に、その原資となった中国での紡織事業を担った上海の工場跡地は、「上海豊田紡織廠記念館」として残されている。それほど、トヨタの歴史上、織機から自動車への事業転換は大きな出来事であり、章男さんも当然、喜一郎氏の孫として、その偉業を子どもの頃から目の当たりにして育ったに違いない。だからこそ、「3代目が会社をつぶす」という言い回しは、普通の人以上に、胸に響く言葉だろうし、2018年当時、「トヨタの社長が年初の賀詞交歓会を蹴ってまで、米国のCESに行くとは何ごとだ」という、日本らしいガラパゴス世論に背を向けて、あえてラスベガスで登壇し、世界に向けてトヨタの事業変換を訴えたに違いない。
世界有数の巨大企業のトップの意図を汲むに当たって、いささか個人的な背景を探ったのは、豊田家の歴史はそのままトヨタ自動車の歴史につながるといっても過言ではないからだ。だからこそ、そうした「章男さんの強い意志」を知った上で、ウーブン・シティのプロジェクトを俯瞰してみると、トヨタという巨大企業ではなく、まるでスタートアップの経営者が、激しい外部環境の変化を肌で感じ、自社のコアコンピタンスを武器に事業をピボットさせようとしている、そんなトヨタの挑戦が見えてくるはずだ。
ウーブン・シティに聞いたスマートシティ構想の意図
読者諸氏の期待を裏切るようだが、あえてお伝えすると、現段階ではウーブン・シティのプロジェクトの進捗や現状のテクノロジーで実現できる個々のサービスについて根掘り葉掘り聞き出すことにあまり意味はない。とはいえ、まずはウーブン・シティの現状をおさらいしておくべきだろう。このプロジェクトをひと言でまとめるならば、「トヨタが工場跡地に一から開発する未来都市」だ。CES 2020では、会場が暗転してまもなく豊田社長が登壇し、自らの言葉で語り始めた。
「CASE:Connectivity(コネクティッド)、Autonomy(自動化)、Shared Mobility(シェアリング)、Electrification(電動化)」と呼ばれる技術やサービスによる未来づくりに取り組んでいます。加えて、AI(人工知能)、ヒューマン・モビリティ、ロボット、材料技術、そして持続可能なエネルギーの未来を追求しています。ある日、ふと『これらすべての研究開発を、1つの場所で、かつシミュレーションの世界ではなく、リアルな場所で行うことができたらどうなるだろう』と思いつきました。そして、富士山の裾野にある工場跡地に、人々が住んで、働いて、遊んで、生活しながら実証に参加するリアルな街を建築しようと決めたのです」
「CASE」という言葉は、2016年にダイムラー社が発表した中・長期戦略に端を発する。トヨタもCASEを意識して100年に一度といわれる自動車業界の変革に挑む。写真:川端由美
記者発表会場の中は一瞬、水を打ったように静まり返った。世界随一の自動車メーカーとはいえ、いくら実験都市とはいえ、たった一社の力で、リアルに人が住む街を造成し、モビリティを含む最新テクノロジーの実証試験を行うという巨大な規模のプロジェクトを敢行した例は他にないからだ。
投じられる予算については言及されていないため、想像でしかないが、トヨタが米国にグリーンフィールドで造成したアラバマ工場への投資額を鑑みると、数千億円は優に超える総工費と想定される。推察に推察を重ねることにはなるが、ウーブン・シティの設計を担当するデンマークの著名建築事務所「ビャルケ・インゲルス・グループ(BIG)」が過去に手がけたプロジェクトのうち、ドバイの火星科学都市の総工費は1億ポンド、住友商事がベトナムで手がけるスマートシティの開発で42億ドルという数字を参考にしても、やはり数千億円の事業規模になることが想像できる。総工費数千億円もの巨大プロジェクトであり、構想の発表からまもなく2年近くが経つにもかかわらず、ウーブン・シティの全容はいまだに見えてこない。かなりの情報統制が敷かれているのか、はたまた計画倒れの青写真の段階では公表できることが少ないのかなどと、しびれを切らした野次馬が勘ぐるのも無理はない。幸いにも今回、本誌からのインタビューの要請に対して、特別にウーブン・シティの開発を進めるウーブン・プラネットから回答を得ることができた。
そもそも、なぜ、ディズニーランドの1.5倍という広さの工場跡地に、製品を生み出す設備投資をするのではなく、将来の技術の実験場としてのスマートシティを作るという投資をしたのだろうか。ウーブン・プラネットからの回答によれば、この構想は、CESに合わせて突然現れたものではない、という興味深い一節があった。
「10年前の東日本大震災後、トヨタは東北の復興支援として、東北を中部、九州に次ぐ第3の国内生産拠点とするため、トヨタ自動車東日本東富士工場の閉鎖および東北への移管を決断しました。2018年7月、トヨタの豊田章男社長は閉鎖が決まった東富士工場の従業員からの質問に対し、『これから50年の未来の自動車づくりに貢献できる聖地、自動運転などの大実証実験コネクティッドシティに変革させていこうと考えています』と回答しました」(ウーブン・プラネット)
冒頭で紹介したとおり、やはりここでも、章男さんの並々ならぬ意志が感じられる。そこで気になるのが、なぜ、設計担当にデンマーク出身の建築家ビャルケ・インゲルス氏率いるBIGを選んだのか、ということだ。たとえば、日本の丹下健三事務所やニューヨークのKPFといったランドスケープを得意とする設計事務所は世界に数多ある。
「ビャルケ氏は社会的、環境的、歴史的な観点を大切にした上で、活力に満ちたデザインを提案し続ける、新進気鋭の建築家であり、トヨタが実現したい街を表現するのに最適なパートナーだと考えて選定しました」(ウーブン・プラネット)
確かにビャルケ氏の過去のプロジェクトには何もかも新しく設計するというより、歴史やその土地の背景に即したニュアンスを持たせつつも、にぎわいや活気を生む工夫を盛り込んだ設計が多い。1960年代から53年間、地域コミュニティの一員としてクルマの製造・研究開発を推進してきた土地に対する地元や基礎自治体の想いにも配慮する姿勢が、ウーブン・シティの設計にも取り入れられるに違いない。
「東富士工場のDNAは、たゆまぬカイゼンの精神であり、自分以外の誰かのために働く『YOU』の視点であり、多様性を受け入れる『ダイバーシティ&インクルージョン』の精神です。これらが『ヒト中心の街』『実証実験の街』『未完成の街』というウーブン・シティのブレない軸として受け継がれていきます。ウーブン・シティは更地の上にできる街ではなく、歴史の上にできる街なのです」(ウーブン・プラネット)
豊田章男社長とウーブン・シティの設計を担当するビャルケ・インゲルス。インゲルスは「トヨタのエコシステムによって幅広いテクノロジーや業界と協業することができ、他の街も後に続くような新しい都市のあり方を模索するユニークな機会」と語る。写真:川端由美
体験を共有するためのプラットフォーム
実は筆者自身も、CES 2020での章男さんの発表を聞いたあと、ワクワクしつつも何かモヤモヤした印象が残っていたのだが、今回、その疑問に対しても回答を得られた。つまりそれは、すばらしい都市のハコモノだけを見せられて、都市に必要とされるコンテンツの提案がなされなかったことへの回答だ。章男さん自身も、映画『チャーリーとチョコレート工場』の登場人物であるウィリー・ウォンカの日本版と皮肉ったように、いくら2021年2月23日に地鎮祭を実施したとはいえ、いまだに単なる工場跡地でしかないからだ。もし筆者自身がウーブン・シティの住民になることを想定すると、「良い学区はあるのだろうか」「おいしいパン屋さんやスーパーマーケットは近くにあるのだろうか?」と考えてしまうだろう。要するに、現段階でコンテンツが見えてこないウーブン・シティは、非現実的なものに映るに違いない。海外で先行していたスマートシティの事例、たとえば、グーグルの兄弟会社が手がけて話題となったカナダのサイドウォーク・トロントのような先進的な事例があるものの、実現に当たっては難点が多く指摘され、暗礁に乗り上げた。ウーブン・シティがこれらの事例と異なる点や、成功すると確信するアドバンテージはどこにあるのだろうか。
「人やモノ、建物など街のさまざまな情報取得を目指します。分析技術を活用したり、社会の情報インフラとつなぐことで新しいサービスやビジネスの創出につながります。一方、個人情報はもちろん特定の個人を識別できるものは、個人情報保護法や当社プライバシーポリシーに従って取り扱います。またコネクティッドカーでの取り組みと同様に、コンプライアンスと情報セキュリティによる取り組みも進めていきます」(ウーブン・プラネット)
実際、スマートシティの先進事例を見ると、データの利活用を前提としたコンセンサスの形成が最大の難関だ。データ・セキュリティはもちろん、データ・プライバシーまで、どのようなポリシーを敷くのか気になるところだ。CES 2020で発表した段階では、「静岡県裾野市にある工場跡地に、社員とその家族、退職者、エクスパット(海外駐在員)、協力する科学者など、最終的に2000人の入居を想定」と、住民を想定していた。実際のところ、住民を関係者に限定することになるのだろうか。
名称:Woven City(ウーブン・シティ)/設計:ビャルケ・インゲルス・グループ(BIG)/所在地:静岡県裾野市御宿(トヨタ自動車東日本東富士工場跡地)/敷地面積:175エーカー(約70.8万m²)/着工:2021年2月23日/住民規模:2000名程度/採用技術:自動運転、MaaS、パーソナルモビリティ、水素燃料発電、ロボット、AI、スマートホーム
「関係者に限定しているわけではなく、住民として想定しているのは『高齢者、子育て世代、発明家の方々』です。高齢者、子育て世代は一番の社会課題を抱えている方々であり、ヒトを中心にしたこの場所に発明家が一緒に住むことにより、いろいろな社会課題の解決に向けた発明をタイムリーに起こしていきたいと考えています」(ウーブン・プラネット)
実際、ウーブン・シティへの入居に高い関心が集まっており、公式サイトに用意された応募フォームからも問い合わせが集まっているという。今回の回答の中で、唯一、自動車メーカーらしいものがあったとすれば、ウーブン・シティの中を走り回るモビリティとしてe-Paletteが運用されるということくらいだろう。しかしながら、e-Paletteも、モビリティの1つに過ぎず、この街の中の移動をトヨタが独占するというわけでもなさそうだ。
ウーブン・シティ内の輸送や配達は、自動運転EV「e-Palette」が使用される。移動店舗としても活用される予定だ。東京五輪の選手村でも巡回バスとして試験運用された。
最後に1つ、トヨタが掲げる将来性の高い事業領域について聞いてみたところ、ウーブン・シティの狙いの本質を突く回答が返ってきた。その回答とは、CES 2020における章男さんのプレゼンの中で語られた「CASEによる未来づくりに加えて、AI、ヒューマン・モビリティ、ロボット、材料技術、そして持続可能なエネルギーの未来を追求する。それを実証する町として、ウーブン・シティを企画した」という点について、この事業領域が将来の成長分野であると確信する理由についてだ。
「トヨタの基本姿勢は原理原則を追求し、手の内化(内製化)を進めることであり、いつの時代にもリアルにこだわり、クルマを作ってきました。CASEの時代において、クルマは情報との連携を進め、ヒト、モノ、コトの移動を通じて、お客様へ新たな体験価値や感動を提供することを目指していきたいと考えています。そのために、ソフトウェアやコネクティッド技術も手の内化を進め、実証の場としてのウーブン・シティの建設、そして独自の車両ソフトウェア・プラットフォーム『アリーン』の開発などにも取り組んでいます。未来のために、トヨタが目指すのは、『すべての人に移動の自由を』そして『感動体験の提供』。それは『幸せの量産』に根差したものです。トヨタが未来を創造していくために必要なプラットフォームがウーブン・シティです」(ウーブン・プラネット)
これはつまり、トヨタが目指すのは、単にモビリティやそのためのテクノロジーではなく、体験を共有するためのプラットフォームだと明言したことにほかならない。
ウーブン・シティが進めるスマートシティのスタイルとは
前述したカナダのサイドウォークのほか、日本のスーパーシティ構想の採択都市のように、世界中にスマートシティと呼ばれるものは数多ある。しかしながら、本当の意味でスマートシティに必要なものを備えた街が実際の稼働レベルに至った例は、ほとんどない。スマートシティと聞くと、ついデータ活用などのデジタル技術に目を奪われがちだが、デジタル化されても、住みやすい街づくりの本質に大きな違いはない。これからの時代、社会課題を起点に、本質的に必要とされるサービスを考えて、そのために必要なインフラとして、フィジカルとデジタルの双方の構築が必要になるからだ。そのためには、「顧客←サービス←プラットフォームの全体像」のサイクルを常に念頭において、システムを設計することが必要だ。デジタル化するメリットは、街に住む人々の体験の共有の加速と、そこから生まれたデータを解析して、プラットフォームにフィードバックすることにより、プラットフォームがより良く改善されていく点にある。ウーブン・プラネットからの回答にもあったとおり、カイゼンのDNAと利他の精神が重要なキーワードになってくる。
翻ってみると、高度にデジタル化されたスマートシティに必要なものとは、データを利活用するための住民と事業者間のコンセンサスが取れており、さまざまなサービス提供者が参加できるオープンプラットフォームが提供されることが欠かせない。技術的には、IDに紐付けてデータが匿名で管理されていること、SDK(ソフトウェア開発キット)が公開されたプラットフォームが提供されていること、プラットフォームやサービスと連携した決済システムが存在することが必須だ。
世界を見回してみて、これらが実際に機能している街は、筆者の知る限り、アリババのお膝元である中国の杭州市と、バルト三国の小国であるエストニアである。前者は、すべての情報の主権が国家に属しており、アリババが提供するスマートシティ化ソリューション「城市大脳」が都市の人流や交通管制を司っており、アリババが提供する決済システム「アリペイ」を経由して、提供されるほとんどのサービスの決済が可能だ。実際、アリババに勤務するフランス人の友人曰く、「中国に住み始めて、この2年間で通貨に触ったことがない」と言う。筆者もコロナ禍以前は頻繁に杭州を訪れていたため、このシステムの利便性を痛感していた。城市大脳による交通管制が導入されるやいなや、中国全体で5位だった市内の渋滞が劇的に解消されて20位まで下がったり、ホテルのチェックインが顔認証だけで可能だったり、アリペイですべての注文や市中での決済が可能なのは便利だった。しかしながら、日本のような民主国家では、国家がデータを管理するという仕組みはなじまない。
一方のエストニアは、北欧らしく高度に民主化された国だ。彼らの考え方では、データの主権は在民である。2001年という早い段階において、「X-Road」なる情報連携基盤を設置し、国を挙げてデジタル国家を推進してきた。平たく言えば、ブロックチェーン技術を応用した「X-Road」をベースに、IDカードで個人情報を紐付けて安全に管理しつつ、必要なデータは匿名で提供する仕組みだ。これが社会基盤にあると、国が電子カルテを作成・管理してエストニア全土の医師に配ることで、国民はどの医療機関にかかっても、患者本人の合意さえあれば、医師は国家で共通のカルテから医療データを参照できる。ただし、この仕組では、国民一人ひとりが、このデータは開放したほうが便利か否か、このデータは個人情報で自分の利益を毀損するから開示しない、といった判断をする必要がある。まさに高度に民主化された国ならではの仕組みだ。
2021年2月23日に執り行われたウーブン・シティの地鎮祭にて鍬入れする、トヨタの豊田章男社長と、ウーブン・プラネットのジェームス・カフナーCEO。豊田社長からは「多様性を持った人々が幸せに暮らせる未来を創造することに挑戦する」との言葉があった。
ウーブン・シティと他のスマートシティとの相違点
これらの例に比べてウーブン・シティが大きく異なる点は、既存の都市のスマート化ではなく、一から都市のサンプルを作ろうとしている点だ。従来の枠組みに縛られることなく構想できる点においては可能性の幅が限りなく広い。また、従来のスマートシティが抱えてきた既存の都市生活との調整や、インフラの大規模な移行といった課題からは解放されることになるだろう。そこでできることは非常に多く、期待できる点でもあるが、一方でショールーム的なものに仕上がってしまうのではないかという懸念もある。都市とは、日常の暮らしが始まってからようやく意味を持ち、成長が始まる。また、単にICTリテラシーの高い住民に向けたものではなく、さまざまな住民をフォローする必要もある。ウーブン・シティに実際に人が住み始めたあと、多様な人々に向けてどれだけ魅力的なコンテンツを備えた都市へと成長するか、それこそがプロジェクトの真価となる。
いずれにせよ、ウーブン・シティの目指す未来の実現には、とにかく課題が山積している。稀代の建築家に依頼して建設される最新テクノロジーの実証都市、全容は明かされていないままだが、とにかく着工はされた。しかし実際には、工場跡地に未来都市を建てることを宣言した段階に過ぎない。ウーブン・シティの構想はかなり思い切った戦略に映るが、「3代目でつぶすわけにいかない」という章男さんの気概に期待したい。冒頭でも述べたとおり、トヨタはもともと、織機や紡織といった繊維業界に軸足を置いて生まれた企業ではあるが、豊田喜一郎氏の時代には、繊維産業で生んだ巨万の富を自動車産業に投じることで当時の産業界のトランスフォーメーションを生き抜いた歴史を持っている。その3代目である豊田章男社長の決意が結実し、トランスフォーメーションを経て新たな事業領域を開拓する世界企業が誕生するのか、しばらくは目が離せない状態が続きそうだ。
創業当時は織機メーカーだったトヨタは自動車メーカーへと事業転換した。その歴史を踏まえた上で、章男社長はCES 2020で「私たちの技術を使って、新しい種類の街、人生を楽しむ新しい方法を織りなす」と語っている。写真:川端由美
この記事は、角川アスキー総合研究所『MIT Technology Review/執筆:川端由美』(初出日:2021年11月16日)より、アマナのパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせは、licensed_content@amana.jpにお願いいたします。