いくら工夫をしても、時間が足りないという人は多いかもしれません。なぜ時間管理がうまくいかないのでしょうか。新著『ライフハック大全 プリンシプルズ』を上梓した、研究者・ブロガーの堀正岳氏が「時間管理の本質」について解説します。
結局、時間はどのようにしても足りなくなる
人生を変えるとは、時間の使い方を変えることです。そして時間の使い方を変えるには、いま何か別の行動で埋めてしまっている毎日の行動を見直して、別の行動に入れ替える必要があります。これが、時間管理の本質といってもいいでしょう。
よくある時間管理の考え方の誤謬に、仕事の時間や空き時間を上手にジャグリングできれば、より多くの物事に手を付けて、それだけの成果を挙げられるというものがあります。
例えばワークライフバランスの考え方は、「仕事をしすぎることで家庭や趣味にあてている時間が犠牲になるのを避けるために、仕事と生活を調和させる」ことを目標としています。しかしこれを実現するには就労の仕方自体に大きな変化が必要ですし、時間の使用方法にある程度の裁量がなければバランスは達成できません。
現実には仕事はいくらやっても果てがありませんし、家族との時間や自分の趣味の時間も、理想をいうならばいくらだって必要でしょう。余裕も裁量もない状態で仕事と家庭をバランスさせようとしても、そのどちらにも不満な状態が生まれる“時間の奪い合い”が日常になってしまいます。
結局のところ、時間はどのようにしても足りなくなります。足りないのを前提として、私たちはつねに何をするのが最善なのかの選択を迫られているのです。
これを解決するために、どれだけ寝食を惜しんで活動できるかを追求してみたり、無駄な時間や怠惰な時間を一切なくして生産的な時間をどれだけもてるかが重要だと説いたりするのは、安易なライフハックといえます。
このように人間離れの活動を自分に強いている状態は、短期的には成果を挙げているようにみえるかもしれませんが、人生を長い目で見て変えることにはつながりません。
車で旅をするときに、燃費を悪くするほどの荷物が積んであるなら、それを降ろしても旅が続けられないか検討するはずです。目的地への近道があったとしたら、その近道をとった結果見逃すものを秤にかけながら道を選ぶでしょう。すべては、何を選ぶかの選択にかかってきます。
逆に、仕事や日常で時間の利用方法が混み合いすぎていて、それ以上何もできない、調整ができない状態は交通渋滞に似ています。道の選択はできませんし、いまさら逃れる方法もありません。
そこで時間管理においては、最初に渋滞の状況を確認するために時間の見積もりを正確にし、次に時間の使い方を選択できる能動的な状態を生み出すことが目的になります。
時間管理とは、どれだけ忙しくできるかではなく、与えられた状況のなかでどれだけ自由を生み出せるかと言い換えてもいいでしょう。
原則:時間管理とはどれだけ忙しくできるかではなく、与えられた状況のなかで能動的な選択の自由をどれだけ生み出せるかのスキルである
そのうえで、生み出された裁量の窓を長期的に向かいたいと思っている航路に向けるために、行動を入れ替えていくこと。つまりは、抱いている目標と時間の使い方にアラインメントがとれている状態を増やすのが、本質的な時間管理になります。
どうしても必要となる日常の時間を正確に把握する
マルセル・プルーストは『失われた時を求めて』の作中で「われわれが毎日自由に使える時間は、融通無碍である。自分が情熱に燃えているときは膨らみ、他人から情熱を寄せられるときは縮まり、あとは習慣がそれを満たしている」(吉川一義訳、岩波文庫版より抜粋)と、多少突き放した言葉を残しています。
他人に強いられた「縮んだ」時間と、自分が求めてやまない「膨らんだ」時間、そしてどうしても必要となる日常の時間、それらを正確に把握し、航路を探すこと。これが時間管理の原則です。
時間管理に関するもう1つの原則は、私たちが時間に対してもっている認知の歪みから来ています。ある作業にどれだけ時間が必要なのか、どれだけ時間がかかったのかの認識自体に壁が存在する点です。
トーマス・マンの『魔の山』で、作者は主人公ハンス・カストルプが従兄弟(いとこ)を見舞うために高原のサナトリウムを訪問した最初の3週間を描写するのに数百ページを費やしたあとで「あとの三週間はあっというまにあとにされ、片付けられてしまうだろう」と驚いてみせます。作中で3週間が過ぎているのは同じなのに、もちろんそこに最初の3週間ほどの重要性がないのは時間の神秘だと、皮肉っぽく書いています。
私たちの毎日も同じです。毎日忙しく、重要な仕事を片付けているつもりでも、数カ月が過ぎてみると、呆然としている間に過ぎてしまったと感じることは多いでしょう。
街なかのクリスマスツリーを見て「もう年末なのか」と焦ったりするのは、日々の時間の過ぎ方と季節の移ろいの過ぎ方の認知にはズレがあり、私たちがそこに期待していた「これだけのことができるはず」といった期待が整合しないからです。
すべての時間が平等ではない、つまり時間あたりの効率には不均衡が存在するのを認識するには、俗に「80:20の法則」と呼ばれるパレートの法則を知るのが鍵となります。
イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートは富の再分配の不均衡や農作物の収量の偏在などといったものを研究するうちに、さまざまな現象に独特な偏りがあることに気づきました。例えば80%の利益は20%の顧客が生み出している、仕事の成果の80%は全体の20%の作業部分から生み出しているといった偏りが、さまざまな状況において成り立っています。
80:20は一種の目安で、場合によっては90:10になるケースもありますが、その本質は同じです。相対的に数の少ない重要なものが成果やトラブルの大半を占めているのです。
法則を知らないと、本質的でない部分で時間を浪費
この法則を知らずに、すべての作業を同程度に重要なものとして扱っていると、本質的でない部分で時間を浪費することにつながります。
時間あたりに達成される成果が平等ではないのなら、私たちの行動もそれに合わせて傾斜させなければいけません。しかし何を?どの程度に?と考え続けるところに、パレートの法則を知る意義があります。
原則:時間の進み方も、その内容も一様ではない。私たちはやるべきこと、向かうべき方向に向けて時間の使い方を傾斜させるようにしなければいけない。
例えば、10ページの企画書を10日間で作っていたとしましょう。こうした書類で最も大事なのは、企画の新規性や独自性をアピールしている1~2ページほどであったりします。
すると、この2ページさえ満足がいくようにできているならば、残りの8ページは相対的に時間をかけずともよいのですから、時間の使い方もこれを反映して傾斜させるのがパレートの法則を取り入れるためのヒントです。
例えば、この2ページのために5日間かけてクオリティーを上げておくなら、残りの8ページは趣旨説明や資料などといった枝葉ですので、2~3日で済ませれば、全体として短い時間でクオリティーの高い成果を生み出せます。
1日の時間もパレートの法則を利用するように使うことができます。成果の80%を生み出す20%部分だとわかっている重要なタスクについては朝一番の、最も集中力が高まっている時間を割り当てます。すべての作業が平等に重要ではないという知見と、すべての時間で同じように集中力が高いわけではないという経験則を組み合わせているのです。
パレートの法則はトラブルを減らしたり、困難を乗り越えたりするのにも重要な考え方です。全体の効率を下げてしまう原因の80%が20%の最も面倒な場所から生まれているとわかっているならば、それをあらかじめ想定した計画が可能になります。
『「週4時間」だけ働く。』の著作などで知られ、いまや有名ポッドキャスターのティモシー・フェリス氏は、知らない言語を数カ月で利用可能なところまで学ぶためにパレートの法則を上手に適用しています。
①母国語の英語で最も頻度が高く利用されている単語100個と、対象としている言語の単語をつきあわせてリストを作成する
②その外国語を学ぶ目的にあわせて追加の300~500個の単語を選び、それだけに集中して学ぶ
こうした選択をするだけで、彼はたった2カ月の学習で、日本の道場で柔道を学ぶ場面に特化した日本語を、会話に問題のないところまで学ぶことができました。
一般的な日常会話や日本語で文章を読めるようになるには、さらに4~5年がかかるはずです。しかし目的がはっきりしているのならば、時間の使い方を集中させることで、短時間に大きな成果を挙げられるのです。
「重要なことだけ実行」は言うほど簡単ではない
ここで注意したいのは「重要なことだけを実行する」のは言うほど簡単ではない点です。言語の習得や仕事全般においては、既知の情報や経験から、どこがパレートの法則の80%の価値を生み出している20%なのかを判別できる可能性が高いですが、それ以外の部分では予断は禁物です。
日本ではよく事業分野における予算やリソースの配分について「選択と集中」が語られます。例えば科学研究予算をどう配分するかにおいて、今後大きな成果が見込まれる分野に「選択と集中」を行って短期間で大きなリターンを得ようといった具合です。
この手法は、選択した部分が本当に成長するかどうかにリスクを孕んでいます。成長が見込まれる部分、重要な部分があらかじめわかっているならば選択と集中はうまくいきます。しかし現実には、それは当たりくじだけを選んで買えば損をしないと主張するくらいに、あての外れる考え方といっていいでしょう。
時間管理においても同じことがいえます。人生において最も重要な瞬間は、不意に、思いがけないタイミングでやってきます。
長女が生まれたばかりのころ、いくら寝かしつけても眠らないので疲れ切ってしまった妻から赤ん坊を預かり、夜が明けるまで自分の書斎で抱いてあやしていたのを私はよく覚えています。
仕事を中断し、抱っこする腕が痺れて痛くなるのを意識しながら見た夜明けに、大きな感動を覚えた記憶は私の人生の宝のうちの1つです。
人生には可能性の扉を開く時間が膨大にある
この出来事において、幼かった娘が眠らず、誰かが面倒をみなければいけないのは選択の余地のない、語弊のある言い方をすると「強いられた」状況です。
しかし私も妻も、それを能動的に選択して引き受けています。時間管理の原則からみると、私たちは自由を行使しているといっていいのです。
その結果として、不意にやってくる幸せな時間は、選択の結果やってきた恩恵といっていいものです。しかしそれは、もし私が「子どもの面倒を強いられるのは嫌だ」と、別の選択肢を選んでいたら得られなかったものでもあります。
人生にはこうした可能性の扉を開く時間が膨大にあります。誰かの誘いに応じて旅行に行く、気になる映画を観る、忙しい時間を縫うようにして本を1冊読む。そうした選択の先に何があるのかは確定的に言えません。
しかし、みなさんはすでに「この方向に向けて行動を重ねると、自分の人生にとって重要な何かが起こりそう」と感じていると思います。
時間管理を通して能動的な時間を生み出していくのは、結果の見えない無駄だと思えるものをすべて削ぎ落とし、重要に思えるものだけを選択することではありません。目標に向けた具体的な行動と同程度に、可能性に向けて開かれた時間の使い方を確保するのが重要なのです。
原則:何が重要かはあらかじめ予想できない。そこで、方向性を見誤らないように注意しつつ、時間の使い方は可能性に開かれているように意識する
『ライフハック大全 プリンシプルズ』(角川新書)
この記事は、東洋経済新報社『東洋経済オンライン/執筆:堀正岳』(初出日:2021年12月10日)より、アマナのパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせは、licensed_content@amana.jpにお願いいたします。