MLB アリゾナ・ダイヤモンドバックス
顧問

小島 圭市

 

 

「静」の時間が、自分を突き動かす

逆境という“谷”が深ければ深いほど、登りきった後の顔は輝きを増す。人生を懸けて掴んだ読売巨人軍の入団から一転して「クビ」を宣告され、今はフィールドの外から選手たちを鋭く見つめる。

 

日本を飛び出しメジャーリーグ屈指のスカウトマンとして活躍。現在はMLB アリゾナ・ダイヤモンドバックスの顧問を務める。

 

数々の逆境を超えてきた小島氏はこう語る。

 

「大きな決断をする瞬間はたくさんありました。追い詰められた時こそ“静の時間”が活きてくるんです」。小島氏にとっての「プラチナモーメント」は清閑で力強い。

 

挫折を経験し、孤独と戦ったからこそ見えてきた希望

プロ野球選手としての20代は挫折と苦悩の連続だった。高校卒業後、1987年に読売巨人軍に入団するも、96年に解雇。怪我も多く、大きな手術を5回もした。「クビと言われてからは1ヶ月くらい外に出なかったですね。20代はとても孤独でした」と当時を振り返る。友人らと酒を共にしても、瞬間的な楽しさの後に言いようのない虚しさだけが残った。

 

これからどうしようかと考えていたある日、現在も慕う恩人からアメリカでプレーをしないかと誘われた。当時の日本プロ野球界では、渡米して挑戦する選手はほとんどいなかったが、迷わなかった。「日本とかアメリカとか関係なかった。もう一度、プレイヤーとして野球を目指したい。悔いが残っていたのですぐに決断しましたね」そう決めた彼の人生は、そこから徐々に好転していった。

 

単身、アメリカでリハビリを続け、MLB テキサス レンジャーズとマイナー契約、そして97年に傘下チームのフロリダで復帰を果たした。その後も、オクラホマのAAタルサ・ドリラーズ、中日ドラゴンズ、台湾の興農ブルズを経て2000年に現役を引退するまで走りきった。そして翌年、LAドジャースからスカウトとしてオファーを受ける。当初は断っていたが、1年間に及ぶ熱烈な打診を受け、考えが変わったという。

 

「スカウトは、いわばチームの屋台骨。建物も基礎がないと建たないでしょう。チームの基礎を作る重要な役割だと感じたんです」。2001年にフルタイムスカウトとして就任した。13年間のスカウト生活で、数々のプロアマ選手と出会い、斎藤隆投手や黒田博樹投手などの獲得に関わった。当時高校野球のスター花巻東高校の菊池雄星投手や大谷翔平選手を獲得寸前まで進め、世間を沸かせたことは記憶に新しい。

 

結果を出すためには、自分で“決断”すること

なぜ小島氏は大きな挫折を乗り越え、誰もが認めるような結果を出せるまでに再起できたのか。その問いに対し、彼はこう答えた。「自分の意思で決断すること。そうすると、たとえ目の前に道がなかったとしても、道が自然と拓けていきます。私はジャイアンツでクビと言われたこと以外、全て自分で進退を決めてきました」

 

若い時は、なぜ自分ばかりに悪いことが起きるのだろうと悩んだ。しかしある人の言葉で、良いことも悪いことも全ての原因は自分にあると気付いた。それを機に、「今の自分と向き合い、今やるべきことをして生きていこう」と次第に考えるようになったという。

 

決断を後押しする、小島流「静の時間」

「目標を持つことは大切」と語る反面、「客観的に自分を見つめる必要性もある」と続ける。そのためには、内省するための「静の時間」が欠かせない。「もともと本を読むことが好きで、一人でいる時は読書をしています。ノウハウ本はあまり読まず、歴史書、哲学書、経済学、政治学など様々なジャンルの本を、自分の思考とミックスさせながら読んでいます。そうすることで、自分の思考が整理できるんです」

 

30年前から毎日続けているという日記を書く習慣も、小島氏にとって大切な静の時間だ。「いいことも悪いことも自分に原因があるなら、いま自分は何をしていて、何を考えているのかを振り返り、認識することで将来への反省材料になる」と日記を書き続ける理由を話す。小島氏にとっては、次の決断につなげるための「静の時間」こそが「プラチナモーメント」だ。

 

「ホテルのバーで一人、仕事や人生について振り返ることもあります。そういった心地よい空間や贅沢な時間を得ることが出来るこのプラチナ・カードの付加価値は、何ものにも代え難く、とてもありがたい」。日々、日本と海外を忙しく行き来するからこそ、喧騒から離れた空間は必要だと、その大切さを語った。「連絡や情報が増え続けているいまの世の中で、毎日静かな時間を作ること。それが、自分にとって、自分を見失わない唯一の方法です」。

  そんな小島氏の展望は、目標を達成するためにもがいている人に対して、単に手を差し伸べるのではなく、彼らが活躍する場所や機会を提供していくことだ。

「自分の挫折経験や苦悩が原点なんです。若い人たちに、自分の体験から学んで欲しいし、伝えたいことがある」。その言葉と表情からは、彼の内なる情熱の炎が垣間見えた。

 

彼のこれからの挑戦に、観客席の私たちはワクワクせずにはいられない。

小島 圭市(こじま・けいいち)

 

MLB アリゾナ・ダイヤモンドバックス 顧問

ワンダークリエイト合同会社 代表

 

1968年神奈川県川崎市生まれ。東海大学付属高輪台高等学校 卒業後、読売巨人軍に入団。

巨人軍解雇後の1996年MLB テキサス レンジャーズとマイナー契約。リハビリを経て、1997年傘下チームのフロリダとオクラホマでプレー。その後中日ドラゴンズ、台湾プロ野球 興農ブルズでプレー。2000年に現役引退を決意。LAドジャースからスカウトの打診を受けるが保留し帰国するも、再三の打診を受けてパートタイムスカウトとして兼業。翌年、フルタイムスカウトに就任。13年間のスカウト生活で数々にプロアマ選手と出会い、斎藤隆投手や黒田博樹投手の獲得に関わる。当時高校野球のスター花巻東高校の菊池雄星投手と大谷翔平選手を獲得寸前まで行き、世の中に一石を投じた。 2014年LAドジャース退団後、ビジネス業界に転身。 現在は、MLB アリゾナ・ダイヤモンドバックスの顧問の傍ら、ワンダークリエイト合同会社の代表を務める。