コネクト株式会社

代表取締役会長

百瀬 俊介

 

 

人生やビジネスを支える「チーム」の力

15歳で単身メキシコに渡ったサッカー少年は、現在、日本で経営者としてビジネスのフィールドを駆け回る。

 

百瀬俊介、42歳。1993年、Jリーグが産声を上げたちょうど同じ頃、遠く離れたメキシコで日本人初のプロサッカー選手になった。

 

その後エルサルバドル、アメリカを転戦し、日本に帰国。今では会社を立ち上げ、ITシステム事業からプロアスリートマネジメントや整体事業、飲食店も手がける。アスリートから経営者へ、エネルギッシュに奔走する百瀬氏のパワーの源となる「プラチナモーメント」とは。

 

 

15歳で渡ったメキシコ。人生を変える人物との出会い

カジュアルなスタイルで社員とフランクに会話を交わす百瀬氏。社員とのあいだの垣根をなくすために社長室や会長室は設けていないのだという。

 

百瀬氏が創業した「コネクト」の業態は、システム開発や運用保守などのIT事業を主軸に、農業、整体、飲食、アスリートのマネジメントまで幅広い。IT企業としては珍しい事業展開だが、その理由を「働く社員やその家族をサポートするために、目に見えた福利厚生を作りたいというのがきっかけでした」と語る。

 

一見するとバラバラとも思える業態だが、「事業の優先順位は、規模を拡大させることよりも、社員やその家族を大切にすること」にあると百瀬氏は言い切る。そうした社員への心遣いは、サッカー選手時代に経験したある出来事がきっかけになっているという。

中学3年生の時に見た光景が、百瀬少年に決意を芽生えさせた。「進路を決めるため、いくつか高校のサッカー部の練習を見学したのですが、下級生はずっと球拾いをさせられていたんです。技量の良し悪しではなく、年齢で区別されている環境に違和感を覚えました」。当時、父親の仕事の関係でメキシコに縁があったことも後押しし、メキシコでの挑戦を決めた。中学卒業後、メキシコのデポルティーボ・トルーカFCのユースチームのトライアルテストに受かり、入団を果たす。

当時、日本からの仕送りはなかったため、昼間は日系のスーパーマーケットでアルバイトをして、午後はサッカークラブに通う生活が何年も続いた。「当時は、何で仕送りをしてくれないんだと親に対して憤ったこともありました。でも自分で選んだ道だからと、食い下がって耐えることができたんです」。

 

異国での一人暮らしは15歳にとっては厳しい環境だ。だが、奮闘の甲斐もあって、チームはメキシコクラブユースリーグで優勝を果たす。その活躍が評価され、入団翌年の1993年に、日本人初のメキシコリーグでプロ契約を結んだ。「正直浮かれていた時代もあって、ちやほやされて優越感を感じて喜ぶ時期もあったんです。自分自身の力でやってきたという思い上がりもあったかもしれない」。

 

しかし、百瀬氏が20歳の時、ある出来事が今後の彼を決定付ける。「ユースチームに入団したばかりの頃にお世話になったアルゼンチン人のコーチが亡くなったんです。公私ともになんでも話せる間柄の人で、彼のおかげで僕のサッカー人生の道筋を作れたほどの仲でした」。恩人の突然の死、百瀬氏の心の去来したのは、言葉にできないほどの後悔の念だった。「あまりに突然で。直接“ありがとう”さえも言えなかったんです。そうして振り返るうちに、今自分がメキシコで頑張っていられるのも、周囲の人たちがいてくれたからだったということに気付かされました」。人との出会いや繋がりに日々感謝し、生きていこうと決めた。

 

何よりも「人との出会いや繋がり」を大切にしている

その後、エルサルバドル、アメリカでのプレーを経て、2001年にデポルティーボ・トルーカFCを最後に、現役を引退した。「サッカーは完全にやりきりました」と話す百瀬氏の次のフィールドはビジネスだった。食品商社に4年勤務し、メキシコ市場における日本食文化の開拓を行い、帰国。帰国後は横浜FCの運営部長を務め、2014年にコネクト株式会社を立ち上げる。すべての人との出会いや縁を大切にしたいという意味を込めて、「コネクト(繋げる)」という名前をつけた。

 

百瀬氏にとっての「プラチナモーメント」は…そう質問すると「人と出会い、繋がるときですね」と迷わず即答する。「いつ、いかなる時でも人との出会いを大切にしています。いままで出会わなければ良かったという人は一人もいません」と語る百瀬氏のもとには、SNS上でも悩み相談のメッセージがよく送られてくるそうだ。人は誰しも一人では生きてはいけない。人生は自分の周りの人によって支えられ、形づくられていくのだ。「人と出会い、繋がることによって多くを学べる。その相手が小学生であろうがご老人であろうが関係ない。自分の人生は、人との繋がりからできています」

 

日常生活で出会うすべての存在に感謝し、相手が生きている間に「いつもありがとう」の一言を伝えることの尊さを、彼の生き様は教えてくれる。

 

 

「働く」上で大事な他者の存在

IT事業から整体事業まで、コネクトの多様な業容も、そこから逆算したがゆえの結果だ。「一日中パソコンに向かうエンジニア社員が、どうしたら生き生きと健康で働けるかを考えた時に、体を整える整体事業や、美味しくて栄養のある食べ物を提供できるように農業や飲食業に着手したんです」。

 

経営者としてユニークな考えは百瀬氏の仕事観にも反映されている。「諸説ありますが、“働く”の語源は『傍(はた)を楽にする』ことだと言われています。傍とは、他者のこと。つまり、他者の負担を軽くしてあげることが、働くことの

本来の意味。それぞれが持っている得意分野を活かして、他の社員を楽にしてあげるようなチームワークが生まれる組織にしたいと考えています。自分はそのコーチ的な役割ですね」。一人一人が得意なポジションを請け負い、チームを重んじる。これまでのサッカー人生を通して体感してきたことでもある。

 

コネクトでは業績や事業規模を追求するわけではない。それどころか「仕事をうまくこなせるかどうかはあまり大きな問題ではありません」とまで言い切る。「それよりも自分だけでなく、他の人のことも大切にできるようなマインドを持つことが大切。そういうハートを持った仲間が集まることで、いいチーム、いい組織というものが成り立ってくるのだと思います」。チームで働くことについて話すとき、彼の表情はとてもいきいきとしている。

 

ビジネスを超えて、人生をサポートしてくれる存在

多様な事業柄、国内外問わず日々出張が多い百瀬氏にとって、旅のパートナーに何を選ぶのかは重要な問題だ。特に限られた時間のなかで、最大限質の高い時間を生み出すためにもプラチナ・カードは欠かせない。「『ビジネス・プラチナ・カード』では経費管理も効率よく行えます。記録がすべて明細で確認できるので、領収書が必要ない点も嬉しい。他にも、カードで購入した有無にかかわらず、故障した電化製品を補償してくれるホームウェア・プロテクション機能やコンシェルジュ機能など、良さはいろいろありますが…なかでも、『センチュリオン・ラウンジ』をはじめ世界1200箇所の空港ラウンジが使えるのは有難いですね。

 

世界を飛び回る自分のライフスタイルを支えてくれるサービスばかりで、その安心感があるから出張も充実します」。ビジネスでもプライベートでも、プラチナ・カードのユーザーだと語る百瀬氏。これまで使ってきたからこそ、その良さを実感している。百瀬氏にとって、プラチナ・カードは「ただのカード」や「ただのステイタス」ではない。「気付いたら頼っていますね。私にとって人生をサポートしてくれる『チームメンバー』のような存在です」。そう無邪気に語る。

 

今後は、事業の海外展開も見据える百瀬氏。旅の終着点はどこなのかまだ分からない。きっと出会っていく人すべてを“コネクト”しながら豊かな人生を創っていくのだろう。

 

百瀬 俊介(ももせ・しゅんすけ)

コネクト株式会社 代表取締役会長

 

1976年5月31日生まれ。中学卒業後にメキシコのデポルティーボ・トルーカFCのユースチームに入団。1993年に同クラブのトップチームと契約し、日本人初のメキシコリーグ所属のプロサッカー選手となる。メキシコやエルサルバドル、アメリカのチームでプレーした後、2001年にデポルティーボ・トルーカFCで現役引退。2014年にコネクト株式会社を設立し、現在代表取締役会長を務める。