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ビジネスの羅針盤/第3回

 

「自社の名前で商品を作りたい。」

社員を引き付ける熱意と貫く堅実経営の姿勢(前編)

 

松山 剛己(まつやま・つよし)

 

松山油脂株式会社・株式会社マークスアンドウェブ 代表取締役社長。慶應義塾大学卒業後、博報堂入社。三菱商事を経て1994年、実家が営む松山油脂合名会社(現・松山油脂株式会社)に入社し、1995年に同社初の自社ブランド「Mマークシリーズ」をリリース。2000年、松山油脂 代表取締役社長に就任するとともに、別会社としてマークスアンドウェブを設立し同社代表取締役社長に就任。2002年マークスアンドウェブの第1号直営店を丸ビルに出店以降、「MARKS&WEB」ブランドの自然派ソープ、オイルなどが好評を博し、店舗数を増やしている。2006年には松山油脂の工場を山梨県富士河口湖町にも構えた。

 

 

 

■ 「廃業したい」、家業を継ぐことを決意させた父の言葉

■ 「自分たちの名前で世に出したい」

■  わずか1.25坪の店舗で叩き出した月の売り上げ

■  悪いときにも欠かさない業容説明

広告代理店と商社で勤務後、石鹸を製造する家業を父から引き継いだ松山剛己氏。当時、大手メーカーの製品をOEMで製造する下請けをしており、社員は数人――。安価な輸入品がシェアを広げる中、このまま事業を続けることは難しいと判断した松山氏は、自社ブランドを立ち上げることを決意しました。さらに、直営店と自社ウェブサイトで販売するブランド「マークスアンドウェブ」も立ち上げ、現在、全国に80店舗あまりを展開中。グループ全体で年商80億円を稼ぐまでに、大きく会社を成長させました。そこに至るまで、数々の難局を乗り越えるにあたっては、「お客様と直接向き合い、良い商品を届けたい」という強い思いが支えとなっていたようです。

 

「廃業したい」、家業を継ぐことを決意させた父の言葉

松山油脂は、もともと下請けで固形石鹸を製造する専業メーカーでした。歴史は古く、明治41(1908)年の創業で、私が5代目になります。私自身は大学を卒業してから広告代理店や商社で働き、1994年に家業に戻りました。その翌年、初めて下請けから脱却して自社ブランドを立ち上げ、さらには2000年、社長に就任したタイミングでマークスアンドウェブを設立し、現在はグループ全体で年商80億円、利益も10億円を超えるまでに成長しています。マークスアンドウェブの直営店は約80店舗にまで拡大しました。

 

家業に戻ったきっかけは、父が「廃業したい」と言い出したことです。幼い頃から母に「あなたに家業を継いでほしい」と言われ続けてきたことが頭の片隅にあったので、その時、半ば衝動的に「家に戻ろう」と思ったのです。

 

後で知ったのですが、その頃会社の利益は年に100万円から200万円程度でした。下請けのままで社員の暮らしを支えていけるのかという不安を、父は抱いていたのでしょう。そんなタイミングで家業に戻りたいという思いを父に伝えると、「甘い気持ちでできる仕事じゃない。考え直せ」と猛反対されました。1年間、熟慮した結果、1994年に家業に戻ることにはなったのですが、最初の1年は作業着を着てゴム長靴を履き、釡場で石鹸を焚き続けました。

 

「自分たちの名前で世に出したい」

ちょうどその頃、石鹸は海外から安い輸入品が少しずつ入り始めていました。日本での石鹸の販売価格は海外製品の2倍から3倍で、競争力がありません。早晩、アジア各国から安い石鹸が大量に輸入され、下請けという仕事では会社が成り立たなくなるのではないか。今こそ自社ブランドの商品を出すべきなのではないか――。現場で働きながら、そのような思いが私の中で日に日に強くなっていきました。ただ、その思いの根底にあったのは、利益を効率的に上げるための計算ではありませんでした。どうせ苦労するなら、他社の名前で製造する下請けではなく、自分たちが良いと考えて作り上げたものを、自分たちの名前で世に出したい、そういう観念的な熱意の方がはるかに強かったのです。

 

自社ブランドを立ち上げたいという私の発案に、長年下請けの仕事に携わってきた社員からは抵抗の声も上がりました。しかし私の熱意に対する共感が、とりわけ若い社員の間に広がり、翌1995年、松山油脂として初めての自社ブランド「Mマークシリーズ」の立ち上げにこぎ着けました。

 

 

松山油脂の自社ブランド「Mマークシリーズ」。ボディケア、ヘアケア、スキンケアなど、毎日の暮らしに欠かせないアイテムを取り揃えている。

 

わずか1.25坪の店舗で叩き出した月の売り上げ

私の夢はお客様と直接向き合い、自社の商品を提案して、そこで得られた反応を次の商品開発に活かすこと。そのサイクルをスピーディーにできるのが、小さな町工場の強みだろうと考えていました。ところが自社ブランドを立ち上げても、私たちが作った石鹸を卸す問屋さんがあり、その先に販売店さんがあり……という商流自体を変えることはなかなかできませんでした。

 

そこで2000年、社長に就任したタイミングで自社ブランド「MARKS&WEB」の商品を直営店で販売する会社、マークスアンドウェブを設立しました。松山油脂本体はそれまでのビジネスの根幹が卸売りであったため、別会社の形にしたのです。

 

2002年、東京駅前の丸ビルにマークスアンドウェブ1号店を出す前は、なにせ名前のないブランドですから、高い保証金や敷金を求められたり頻繁に門前払いされたりしていました。ところが、わずか1.25坪の1号店で月300万円、400万円といった売上を出せるようになると、様々な商業施設からお声がかかるようになり、状況が一変しました。

 

 

東京駅前の丸ビルにあるマークスアンドウェブの店舗。1.25坪から始まり、現在では面積を増やしている。

悪いときにも欠かさない業容説明

 

私が入社してからマークスアンドウェブを設立し、軌道に乗せるまで、資金的には常にギリギリの状況が続いていました。しかし実感としては、苦労らしい苦労はほとんどしていません。父の代から、主要取引銀行2行に年4回赴き、財務状況や売上の見込み、課題などをしっかり説明する習慣ができていました。2002年に株式会社化しましたが、それまでは合名会社でしたので、経営破綻の際は無限責任を負 います。いざとなったら経営者も社員も全てを失うわけです。ですから困ったときに慌てて資金繰りに出かけるのではなく、良いときも悪いときも欠かさず業容説明を続け、取引行との良好な関係を維持することに心を砕いていました。

 

そのおかげか、銀行と信頼関係が生まれ、困ったときにもスムーズに借り入れることができ、経営が厳しくても慌てるようなことはなかったのです。この習慣は、利益が10億円近くになった現在でも続けています。私が社長になってまもなく20年経ちますが、この長い間、年4回欠かさず業容説明に来るのは当社だけだと取引行に言われたこともあります。そういった事情もあり、マークスアンドウェブを立ち上げてからも基本的には自己資本で会社を回し、時に借り入れはするものの、資金繰りは順調でした。

未来に向けて、カオスを引き起こせ

 

とはいえ一度だけ、お金で苦労したことがあります。マークスアンドウェブの直営店を拡大する中、2003年、山梨県に富士河口湖工場を新設する計画が持ち上がり、このとき初めて大きな借金をしました。土地は賃借で、購入はしていないのですが、当時の利益はまだ少なく、会社の規模からすると大きな投資。続く2年は資金繰りにかなり苦労しました。なにしろ、現在は毎月15億円の繰越金がある会社が、当時はグループ全体で6000万円程度まで減っていたのです。今振り返ってもこのときが返済で最もつらかったのですが、2006年に富士河口湖工場が竣工して以降は、資金繰りで困ったことは何一つありません。

 

後編に続く