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ビジネスの羅針盤/第7回

 

「運営の達人になる」ビジネスビジョンで
世界に挑む

 

星野 佳路(ほしの・よしはる)

 

星野リゾート代表
1960年、長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、米国コーネル大学ホテル経営大学院修士課程修了。91年、星野温泉(現 星野リゾート)代表に就任。運営に特化する新機軸を打ち出し、ラグジュアリーリゾートの「星のや」、温泉旅館「界」、リゾートホテル「リゾナーレ」、都市観光ホテル「OMO(おも)」、ルーズに過ごすホテル「BEB(ベブ)」の5ブランドを中心にホテル・リゾート施設を次々に展開。2014年からは海外にも運営を拡大。2021年には京都に「OMO」ブランドの3施設をオープン。世界に伍すホテル・リゾート運営会社を目指す。

 

 

 

第1章 「運営の達人になる」
■ 経営者としてのアイデンティティが行動を起こさせた
■ 社員の声が不良債権処理案件を引き受ける決め手に
■ それまで日本にはなかった運営特化型の戦略で独自の展開を

第2章 「観光人材の育成が星野リゾートの財産」
■ 100年に一度の経済危機は数年に一度訪れる
■ 18カ月の生き残り計画、最大のカギは人材を維持すること
■ 世界と互角に戦える組織を育てていく

老舗温泉旅館の4代目として事業を継承しながら、革新的なビジネスビジョンを打ち出し、全国のホテル・リゾート施設を運営する星野リゾート代表の星野佳路さん。
バブル崩壊やリーマンショック、震災などさまざまな危機にどう立ち向かい、ホテル事業に革命を起こしてきたのでしょうか。

 

【星のや富士】キャビン夕景

【星のや富士】キャビン夕景

第1章 「運営の達人になる」

 

 

経営者としてのアイデンティティが行動を起こさせた

 

――創業1914年の老舗旅館を継承し、代表に就任したのは91年、31歳の時です。若くして家業を継ぐことに、ご自身や周囲の抵抗はありませんでしたか。

 

旅館に生まれ、祖父が周囲に対して「4代目です」と僕のことを言っているのを聞いて育ったので、そういうものだろうという覚悟は自然とできていました。大学卒業後は、ホテルや観光、ホスピタリティの分野を学ぶために米国コーネル大学ホテル経営大学院に留学し、その後3年間シカゴでホテル開発プロジェクトに携わりました。

 

大学までずっとアイスホッケー部の選手としての生活に明け暮れ、当時はアイスホッケーがうまくなることが自分のアイデンティティそのものでした。卒業してそれがなくなった時にアイデンティティロスを経験しました。自分は何を目指しているのか、何になろうとしているのか分からない時期でした。そして大学院時代にさまざまな出会いがあり、自分にとって優秀な経営者になることが新たなアイデンティティになるのだと気づきました。明確な目標を得られたことで、若いなりに自分を進化させ、よい経営者とは何かをストイックに追い求めて、帰国しました。

 

ところが実家を継いだ89年。私が見た実態は理想とはかけ離れていました。少しずつ変革を試みたのですが、私の意見に総論賛成、各論反対でした。しかし、スタッフの職場環境などは早急に改善しなければいけないという使命感に燃え、そこに踏み込んだことで当時の星野家の経営陣と決定的な対立状態になり、解雇されました。

――波乱の幕明けですね。

 

当時バブルとその崩壊で、経営の健全性についてみんな、気になっていたのです。2年後の91年、結局、私が指摘していること

を改善していかなければいけない、というのが株主全体のコンセンサスになり、私が戻ることになりました。戻るに当たって、

私は1つだけ条件を出しました。父を含め役員全員の入れ替えの要求です。会社の意思決定機関は取締役会です。そこで健全

な議論ができない、問題があるのにそれを放置している人たちでは、経営はできないと考えたのです。いきなりそこで社長就

任に。31歳でした。今振り返ってみると、ちょっと乱暴だったと思いますが。

未来に向けて、カオスを引き起こせ

 

 

社員の声が不良債権処理案件を引き受ける決め手に

 

――そのころから、バブルの崩壊でリゾート業界全体が大低迷期に入ります。

 

就任してから10年間は、財務体質をよくしていくことに力を注ぎました。建物が老朽化しており、改築には2年間はクローズすることになりますし、資金も相当必要になるからです。ようやく財務体質強化が実を結び、星野温泉旅館(現「星のや軽井沢」)の大改装着手への目途がたった段階で入ってきたのが、民事再生で破綻した「リゾナーレ八ヶ岳」でした。このタイミングで、ほかのことに労力も資金も使わなければいけなくなることに、大きな葛藤がありました。

 

――それでも、リゾナーレ八ヶ岳の運営を決断したのはなぜですか。

 

社長に就任した翌年の92年には、私たちは「リゾート運営の達人になる」というビジネスビジョンを掲げていました。なぜなら日本はバブル期にリゾート施設を作りすぎて供給過剰の状態。さらに所有して開発するのはマーケットにとってもよくないし、我々にとってもリスクです。これからは経営ではなく、施設の運営に特化したビジネスにしていこうというのが我々のビジョンでした。

 

ですから、いずれは外の施設も運営しようと考えていたのです。ただ、「リゾナーレ八ヶ岳」はタイミング的には非常に厳しいものがありました。結局背中を押したものは、とにかく見に来てくれと言われて行った時の現地スタッフたちの熱意です。2001年12月19日、決定的な瞬間でした。

 

大きなホールにみんなで集まり、星野リゾートと一緒にやりたいというスタッフからの声がありました。あの時の彼ら彼女たちとあの場所での出会いがなければ「リゾナーレ八ヶ岳」はなかったと思います。その時のメンバーから、幹部スタッフになった人も出てきています。

 

 

それまで日本にはなかった運営特化型の戦略で独自の展開を

 

――運営の達人になるというビジネスビジョン。日本には当時なかった発想ですね。

 

未来に向けて、カオスを引き起こせ

運営特化戦略は当時、米国や欧州のホテル業界ではすでにスタートしていました。コーネル大学に行っているころから、そういうビジネスプランがどんどん出てきました。以前は投資家がホテル事業に魅力を感じても、自分で運営するしかありませんでした。しかし、運営だけを担当する企業が出てきたことで、ホテルに対する投資家が増えて、世界のホテル業界が劇的に変わっていったのです。

 

私は、運営特化の展開のスピードを80年代に世界のホテル業界を見て感じていました。ハイアット、マリオットなどの運営に特化している外資の会社が都市には必ず入ってくるはずですが、地方に外資が入ってくるまでには時間がかかる。そうであれば、まず私たちがリゾートに特化した運営会社をやっていこうというのが戦略でした。外資にとって温泉旅館は苦手な分野です。我々は日本の会社で、実家も温泉旅館ですし、まず温泉旅館の分野で優位性と規模をもって展開をしようとしたのが「界」ブランドです。その規模をベースに、逆に都市に入っていこうというのが我々の当初のプランでした。

――2013年には星野リゾート・リート投資法人が東証に上場しています。日本初の観光に特化した不動産投資信託(リート)を立ち上げたのはなぜですか。

 

投資家がホテル事業に投資できるようになったといっても、巨大な機関投資家ばかりです。例えば80年代の全米のヒルトンホテルの半分以上はプルデンシャルという保険会社が持っていました。個人でホテルに投資しようと思っても方法がなかったのです。

 

日本はこれから観光立国を目指していて、地方の経済は観光への依存度を高めています。観光がこれほど地方の経済で役割を果たせる時期は過去にありませんでした。リートであれば一般投資家の方が観光産業の成長に投資したいと考えた時に、受け皿になれるのではないかと考えたのです。

そして、私たち自身も安定して長く所有してくれるパートナーを得たいという思いがありました。

 

――温泉旅館をリートの対象にするのは、おそらく世界初のことです。

 

きっかけをくれたのはリーマンショックです。私たちの旅館やリゾート施設は健全な状態でしたが、それまで私たちのリゾート施設を所有してくれていた海外のファンドや投資家が、ほかの投資で大きなロスを出したために一斉に手を引いてしまったのです。経済の変化に対して安定的なオーナーをパートナーにしたいと考えて、リートにたどり着きました。

 

リートは独立した法人で、独自の判断で経営してくれていますが、私たちは問題のある案件を取得し改善して収益があげられるよい案件に育てて、リートに所有権を移管するという、成長のスピードを加速させる1つの仕組みを得ました。よい案件なら投資してくれる日本の安定した個人投資家の方々をパートナーとして得られたことが、私たちにとって大きな自信と安心になっています。


新型コロナウイルス感染拡大の影響で、全国のホテルの客室稼働率が20~30%台に落ち込むなど、観光業はいまだ厳しい状況が続いています。

ワクチンがその効果を見せ経済活動が回復するまでの間、星野リゾートはどう向き合い、コロナ以降の観光事業にどう打って出ていくのでしょうか。

【星のや富士】クラウドテラス全景

【星のや富士】クラウドテラス全景

第2章 「観光人材の育成が星野リゾートの財産」

 

 

100年に一度の経済危機は数年に一度訪れる

 

――18年にはOMOブランドを、19年にはBEBブランドを展開しいよいよ海外展開が本格化しようというタイミングで新型コロナウイルス感染拡大が始まりました。

 

今回は、過去の危機対応の経験が生きたと思っています。91年に代表に就任して以降、バブル崩壊があり、08年にリーマンショックがあり、11年に起きた東日本大震災では福島・東北における原発事故の風評被害で苦しみました。経済において、100年に一度、1,000年に一度といわれる危機が、自分にとっては5・6年に1回ずつやってきています。新型コロナウイルスもまさにそうで、スペイン風邪以来の100年に1回のパンデミックといわれているものです。

――コロナに関しては、20年の1・2月ごろはここまで長引くとは多くの人が思っていませんでした。どのタイミングでどんな対応を取られましたか?

 

昨年4月に18カ月計画に踏み切りました。このコロナ禍は長く続くので、とにかく18カ月間、会社が潰れない計画をみんなで考えようという話をしました。そこが私たちのスタートです。

 

スペイン風邪の事例から、感染拡大と収束が波のようにやってくるだろう、その波と波の間に、必ず国内需要がやってくるという予測をもとに計画を練りました。そして、その国内需要をいかにたくさん捉えるかが勝負所だと考えました。インバウンドはいなくなっても、もともと国内旅行の需要はありましたし、アウトバウンドで海外旅行に行っていた人たちが国内旅行に回帰することによる需要は大きいと予測したのです。そのための情報発信を始めました。

 

市場調査を6月に展開し、迷っている人たちに利用していただけるようにするためには何が必要かを確認しました。コロナ対策をしっかりやって三密のない滞在を提案することはもちろんですが、同時に身近な場所を旅する「マイクロツーリズム」を打ち出しました。

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市場調査の結果から、『もしも熱が出たら帰れなくなる』という旅行者の心配が見えてきましたので、飛行機に乗らず、電車にも乗らなくていいので、帰れなくなる心配がないマイクロツーリズムを重点的に展開したのです。

 

実は、地元でのマイクロツーリズムをターゲットにいろいろな魅力を作ることを昔からやっていました。オフシーズンになると東京や大阪からリゾートを訪れる人が減るからです。方法も含めて馴染みが深かったこのやり方を、コロナ禍にも当てはめて、ある程度需要を確保しました。

 

ワーケーションも充実させています。東京から新幹線で70分と近い距離でありながら、美しい自然環境でリフレッシュできる「星のや軽井沢」、ビジネスの中心街で温泉の和やかさが味わえる「星のや東京」、島ならではの開放感がある「星のや竹富島」など、圧倒的非日常感の中で仕事をする快適さがあります。アフターコロナでも、平日などにゆったり滞在できる需要に応えられると思っています。

 

 

18カ月の生き残り計画、最大のカギは人材を維持すること

 

――18カ月生き残るための計画を、みんなで考えるために星野さんはどんな指示を出されたのですか?

 

計画を練るに当たって、私からは3つの原則を提示しました。第1は「現金をつかみ離さない」。生々しい表現ですが、最終的に現金がなくなって会社は潰れるのです。先送りできるコストは先送りして、事務的な現金支出を減らそうということです。

 

第2は「人材を維持し復活に備える」。これが非常に重要で、90年代に私が経験から学んだことです。改築一つに13年もかかった理由は人材不足でした。株式会社星野温泉では人材確保が難しかったのです。これに対し、観光人材を育ててきたことが星野リゾートの競争力です。スタッフの不安を減らし、コロナが終わった後に早く復活するためには人材を維持したまま乗り越えるのが必須条件。18カ月計画は、それを維持したまま乗り越えることが大前提なのです。みんなで乗り越えるんだということを第2条で明確にしました。

 

第3は「社員満足度、ブランド戦略の優先順位を下げる」。いろいろな顧客サービスプランや企画を各施設でやっていたのですが、いったん優先順位を下げようと。犠牲にするものを明確にして大方針を打ち出したことで、みんなが計画を考える時に「これをカットしていいのだろうか、この活動を保留にしていいのだろうか」と迷ったら、それぞれの部署で決断がしやすいからです。

 

20年の4月の時点で、社内では危機感が充満していましたが、「こうやれば18カ月間は、私たちは大丈夫だ」というものをみんなで作れたのはプラスでした。スタッフ全体のやるべきことが明確になりましたし、自信にもなりました。結果的に秋の段階では、18カ月計画の中で予想していたよりも状況がよくなりました。18カ月間は、確実に生き残れると分かったので、我々にとって自信になりました。

 

 

世界と互角に戦える組織を育てていく

 

――今後、2年後、5年後のビジネス展開をどう考えていますか?

 

未来に向けて、カオスを引き起こせ

運営会社なので、オーナーとして投資家の方がいないと仕事になりませんが、国内ではコロナをきっかけに運営を任せていただける案件が増えています。京都で3つのホテルをオープンしましたが、これもインバウンドがいなくなって業績が伸び悩んでいる施設を何とか再生していこうと仕事を引き受けたものです。国内では同様の案件が増えるでしょうし、受けることができる仕事については全力で頑張りたいと考えています。

 

同時に海外に運営の拠点を増やしていくことは星野リゾートにとって重要です。私たちの競合相手はハイアットでありマリオットでありヒルトンだと捉えています。10年、20年、30年後、次の世代にも星野リゾートがしっかりと残って、そうした外資の企業と互角に戦っていくためには、私たちも海外拠点を増やしていく必要があります。海外はまだまだ弱いですから今後、積極的に挑戦していきたいと思っています。

――次の世代に引き継いでいくために、後進をどう育てていこうと考えていますか?

 

マネジメントスタイルは星野リゾートの規模が大きくなっていくにつれて、すでに大きく変化してきています。私が担ってきた役割はどんどん減り、多くの役割を組織の中でみんなが担ってくれています。メディアへの露出で私が目立つかもしれませんが、仕事の実態としては相当分散しています。このままマネジメントの中枢を、組織の仕組みに依存できるようにしていきたいと思っています。

 

ちなみに、私はスキーが趣味で年間60日は滑走しているんです。好きなスキーを滑るために、人がやってくれることはどんどん任せようという気持ちでいます。そういう熱中できるものがあるのは、経営者が次の世代にバトンタッチしていくステップでは、大いに役立つのかなと思っています。

 

(終)