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プロフェッショナルの新・視線/第4回

「面白いこと」に挑み続ける(前編)

又吉 直樹(またよし・なおき)

 

 

吉本興業所属の芸人、小説家。1980年、大阪府出身。小学校時代にサッカーを始め、高校は大阪の強豪校・北陽(当時)のサッカー部で活躍。大阪府代表としてインターハイに出場する。1999年、タレント養成所の吉本総合芸能学院に入学し、2003年、綾部祐二とお笑いコンビ「ピース」を結成。2015年、初めて書いた中編小説『火花』で第153回芥川賞を受賞。2017年、2作目の小説『劇場』を発表。この2作は映画化もされた。2018年から2019年にかけて毎日新聞に長編小説『人間』を連載。数多くのテレビ番組やCMでも活躍する。

■ これが僕の私小説です

 

■ 自らにあえて厳しい条件を課してみる

 

■ 多様な価値基準の中に「物語」の芽が潜む

 

■ 肩書の枠を超え「自分」で勝負する

2019年、初の長編小説であり初の新聞連載小説でもある『人間』を上梓した又吉直樹氏。多忙を極めていても、常に「面白がる」ことをやめない、「面白がらせる」努力を惜しまない又吉氏にまずは本作品の執筆のご苦労や、書くことを通じて得た気づきについて伺います。

 

これが僕の私小説です

――最新作『人間』は、どのようなお気持ちで執筆に臨まれたのでしょうか。

 

初めての小説『火花』を書いた時、フィクションとして書いたのですが、主人公が芸人ということもあり、どうしても僕自身の話として、つまり主人公と僕を混同して読まれてしまったんですね。あくまで小説として楽しんでもらいたいのに、もったいないなと感じました。その経験があったので、いっそのこと最初から自分自身の話、「これこそ私小説です」と公言できるものを書こうと思いました。僕自身、自分と向き合う強い意識と覚悟を持って書きました。

――自分自身のことを書くに当たり、書き方で工夫した部分などありましたでしょうか。

 

芸人である僕のことを知らずに読んでくださる方もいるはずなので、「こう読んでください」ということはもちろんないのですが、僕という存在が立体的に浮かび上がってくるような書き方を意識しました。『人間』の主人公は芸人ではありませんし、「これ、絶対に事実じゃないよな」という挿話もいっぱいあるわけじゃないですか。主人公だけでなく作中に出てくる登場人物の言動にも「これは作中の語り手なのか、現実の又吉なのか」を混同してしまうような作りに、わざとしています。芸人とも作家とも捉えられる人が書いた小説は、これまであまり読んだことがないので、現実の僕を皆さんがある程度、知っているという前提は、かえって面白いスパイスになるかなとは考えましたね。そういうところも含めて、これが僕の私小説です。

為末 大氏

自らにあえて厳しい条件を課してみる

――今回は初めての新聞連載小説でしたが、ワークスタイルの点でこれまでと違う部分はありましたでしょうか。

 

連載の場合、毎日書かなければいけないので、その意味では違いがありました。多くの作家が、最初にまとめて書いたものを少しずつ修正しながら出していくスタイルを取っているそうですが、僕は、半ば意識的に毎日一本ずつ書いて、締め切りギリギリに送っていました。そういうライブ感というか、綱渡り的な創作を試してみたかったんです。「この書き方でどういうものが出てくるか見てみたい」という気持ちで書きました。

 

――それは楽しいものだったのでしょうか、それともつらかったのでしょうか。

 

もちろん精神的に落ち着かない感覚はずっとあったのですが、総合的に見ると面白く、やってよかったと思います。結果として、当初の予定よりかなり長い期間、連載を続けましたし(笑)。

 

小説を書くためには“養分”が必要です。現実の世界から得たものなしで、すべて想像で書くことは難しい。例えばお店に行ったら、どんな客がどんな表情で、どんな話をしていたか、壁の色は何色で、照明はどういう当たり方をしていたかなどを一通り全部覚えて、別々に起きた出来事を組み合わせてみたりして小説の中に活かしていきます。出会ったネタや、その時、感じた違和感も含めて全てが材料になる。普段、見過ごしていることも注意して観察すれば、捨てるところなどありません。一見、関係のないものを加えることで、シーンが完成することもあります。

 

毎日毎日書いていたので、その日、見たものがすぐ、小説の背景になったり会話のヒントになったりと、そのライブ感が面白かったです。書くのがつらいと感じたことはなくて、振り返ると楽しい毎日でした。

多様な価値基準の中に「物語」の芽が潜む

――『人間』を執筆したことで、新しく見えてきたこと、気づいたことはありますか。

 

いろいろなモノの価値ですかね。世の中には多様な価値基準があるということです。例えば、アルバイト先に冷たい先輩がいたとして、後輩は「あいつ嫌なヤツやなあ」と思っている。でも先輩側から見たら「後輩が無能で自分の仕事に迷惑がかかるから、つい冷たくしたくなる」という理由があったり。『人間』でも、主人公の永山が考える正義に対して、「それは違う」と全力で潰しにいく人物が出てきます。それもこれも、価値基準はそれぞれで、全て理由があるということが見えてきました。

 

――『人間』のラストに家族の話が出てきます。これも作品を書く中で見えてきた価値の考え方とつながりがあるのでしょうか。

 

この場面を書く時、改めて両親のことを考えました。僕は、両親のことをめちゃくちゃ尊敬しているんですが、どういう両親かといったら、とりたてて特徴はないんです。僕自身は「面白いことをやろう」と思って東京に出てきたのに、父も母も本当におもろないというか、普通なんです。もし「母親全国大会」というのがあって僕の母が出たら、地区予選の2回戦くらいで負けると思うんですよ。でも優勝した誰かのお母さんが、自分にとっての理想の母親かといったら、そんなことないじゃないですか。2回戦で負ける母が結局は自分の理想の母親で、むしろ2回戦で負けるくらいがいいと思ってしまう。

 

そうなると、世の中の価値というものがよく分からなくなってくるんです。特別なもの、絶対的なものがあるわけではなく、価値基準は本当にいろいろだなと。それぞれの価値基準で、みんな生きている。むちゃくちゃ当たり前のことなんですけど、僕はそれを分かっていなかったというか、うまく言葉にできていなかったのが、今回書きながら「そうやなあ」と。理屈ではなく、「価値ってそういうことなんだ」と腑に落ちました。

肩書の枠を超え「自分」で勝負する

――ところで今回の作品中で「肩書」について言及する場面があります。世の中、肩書だけで価値を評価されてしまうケースも多いと思いますが、又吉さんにとって肩書とは何でしょうか。

 

『火花』を書いてから、「又吉さんは芸人ですか?作家ですか?」とよく聞かれるようになりました。僕としてはその質問は本質的でないというか、どちらでもいいんです。ただ、「どっちでもいい」と答えると、僕が感じているニュアンスがなかなか伝わらなくて、相手に「(又吉さん)ちょっとイライラしているのかな」と受け取られることもあります。もっとフラットに捉えてほしくて、本当に「どっちでもいいですよ」という思いで言っているのですが。

 

コントをやるときも文章を書くときも、受け手側が「芸人の又吉だ」「作家の又吉だ」とわざわざ意識することなく、ノンストレスで受け取ってもらえる方がいいですね。実際、「面白ければ肩書なんて関係ない」と、皆さんも思っているのではないでしょうか。肩書を前面に出して仕事をしている人って、どこかうさんくさい人が多いですよね。例えば、誰より肩書にこだわるのは詐欺師です。

 

僕としては、自分は自分で成立していると思っていますし、もし肩書が必要なら皆さんの方で決めてくださいと、そういう気持ちです。これもまた、人それぞれの価値基準に委ねるのが自然だと思うんです。

>後編に続く

為末 大氏